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2008年9月

2008年9月29日 (月)

■当社部会にて

先日、当社経営企画部の部会にて、十数人を相手に「新型インフルエンザ」についての概論を説明したのだが、その反響が面白かった。なんと皆「半笑い」なのである。どうやら隕石が落ちてくる位の可能性としか捕らえていないようである。実際その程度の可能性であれば結構な事なのだが、どうもパンデミックの可能性はそれよりは高いと思われる。親会社が策定した対策マニュアルが有名無実である事や、平時において、人事総務部門は情報収集する事がマニュアルに記載されていることを話しても反応が返ってこない。僕が米半年分を備蓄している話は大いに笑いを誘ってしまった位である。

こんな事で良いのだろうか?と改めて思ってしまった。危機意識が全く無い。身近に死が無いからだろうか?生きている実感が湧かないからだろうか?なんとなく何とかなってきたこの六十数年だったからだろうか?そもそも人々に危機意識を持つように願うことがナンセンスなのだろうか?少なくとも我が国ではそう思えてならない。危機意識は国家が持つものであって、国民は危機については何も考えず、ただ安心して日々暮らせるようにするのが国の役目だ。という誤った「封建主義と主権在民」がごちゃまぜになった、いいとこ取りの考え方が蔓延している。極論すれば、「国民には権利はあるけど義務は無い」という考え方の人がいかに多いことか。好き勝手やっていい権利という物がどうやら人々の心の中に巣食っているようである。

話が逸れてしまった。とにかく、会社の経営を企画する部署の部員が全く危機感を持っていないのである。しかも親会社が対策マニュアル策定済みと厚生労働省に報告済みのはずだ。こういう状態は、対策を立てていないよりも悪い状況なのではないか?

地震が起きたらどうするかというマニュアルを立てたとする。そのマニュアルに「ナマズに地震を止めさせる」と書いてあったら、本当の地震の時どうなるか・・・これは極端な例えなのだろうか?

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2008年9月25日 (木)

■インフルエンザを知る~その2

開裂と脱殻とによって細胞質内に出たインフルエンザウイルスの遺伝子RNAは、自身を構成するたんぱく質を作る為のメッセンジャーRNAの作成と自分の遺伝子自身のRNAの複製を行おうとする。まずメッセンジャーRNA(以下mRNA)の作成であるが、これが実に巧妙である。なんと宿主細胞のmRNAを切り取って自分自身(RNA)に繋いで自分のmRNAを作ってしまうと言う。こうして作り出されたmRNAは宿主のmRNAと同じように処理されて、結果ウイルス用のたんぱく質を宿主細胞が作らされてしまう。

一方ウイルス遺伝子RNAも大量に複製されるが、その機序はまだ良く分かっていないそうである。

さて、上述のmRNAの働きによって、ウイルス用のたんぱく質は通常どおり、小胞体、ゴルジ体、分泌小胞を経て完成する。そして、ヘマグルチニン、ノイラミニダーゼ、M2タンパク質、RNAが揃った段階で,宿主細胞の細胞膜近辺にそれらは集合を開始する。誰がどのようにここに集まるよう指示を出しているのだろうか?誠に不思議に感ずる。ともかくも、宿主細胞の細胞膜を除いて、ウイルスのエンベロープたんぱく質をあてがう。そうして最終的にエンベロープで完全に覆われたウイルス粒子が再構築され、細胞外に放出される。

これで増殖の完了と思いきや、そうはいかない。複製されたウイルスは元いた宿主細胞にもう一度吸着してしまうのだ。考えてみれば自然な成り行きだが興味深い。しかしウイルス側も周到だ。元いた宿主細胞からウイルスを遊離させるたんぱく質であるノイラミニターゼが、この時出番となる。ノイラミニターゼは、ヘマグルチニンが吸着している細胞表面の糖鎖を切断する。かくしてウイルスは遊離し、自分自身の複製を宿主細胞に作らせて増殖していく事に成功する訳である。しかしはたとここで疑問に思ったのは、何故ノイラミニターゼは最初の吸着時に細胞表面の糖鎖の切断を行わないのだろうか?という点である。ノイラミニターゼは吸着して侵入していこうとするときは糖鎖の切断を行わず、脱出して行こうとする時は切断を行う。一度目の吸着と二度目の吸着を識別しているとしたら、そのウイルスは次の細胞に吸着できない事になる。まさかウイルスが回数を数えられるとは思えないからだ。

しかしすでに感染された宿主細胞と感染されていない細胞を見分ける力を持っていて、感染された細胞に吸着した場合にのみノイラミニターゼが働き、そうでない時には働かないのだと、僕は推測する(もうとっくにこの事は発見されているかもしれないし、この推測が間違っている可能性もある)

それにしてもウイルスは巧妙だ。細胞に入るやり口、細胞内で宿主細胞の力を利用するやり口、細胞膜近辺で集合する方法、最後に宿主細胞から脱出する方法・・・全て巧妙かつ完成されたやり口だ。これだけの完成度はいったい何千年いや何万年かかって作ったのだろうか?是非ともインフルエンザウイルス本人にインタビューしてみたいものである。

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2008年9月24日 (水)

■厚労省の専門家会議の結果について

インフルエンザの感染機序の勉強をしていたのであるが、ここで9/22に行われた「厚生労働省の新型インフルエンザ専門家会議」の内容について記述したい。22日、厚労省の専門家会議は新型インフルエンザ発生時の感染拡大を防ぐための基本方針案をまとめた。このことは年内に改定される「行動計画」に盛り込まれるべく、近く同省から広報されるとしているが、「日経」「毎日」「読売」による報道によると以下の2点に要約されている。

1.感染者数による4~5段階の国内状況に限定した新分類を定める
 これはWHOのフェーズ区分以外に国内に限定したフェーズを策定し、対策と対策のタイミングをより具体化したものである。

2.マスクの備蓄要請
 各家庭は8週間分、一人20~25枚の高機能マスクを備蓄すべしということである。これは結構重大な事である。4人家族の場合、100枚の不織布マスクを備蓄せよということだからである。さらに注意すべきなのは、決してN95を推奨していないという事である(N95は苦しくて長時間装用が難しい)、専門家会議が備蓄を勧めるのは「プリーツ型」と「立体型」と呼ばれるマスクで、いずれも繊維を化学的に結合させた不織布で作られている。使い捨てが原則で、発症した場合はウイルスをまき散らさないように1日1枚で計7~10枚(発症期間を7~10日と想定)、健康な場合も、やむを得ず週2回外出するとして8週間分の16枚程度が必要としている。ドラッグストアやコンビニエンスストアで、数枚入りで販売されている。

ちなみに不織布マスクは結構高めである。これらの備蓄を各家庭に推奨するという布令は今の所他国で聞いた事が無い。きっと医学的エビデンスが無いからであろう。しかし、この布令を僕は一定程度評価する。マスクの需要を分散させる効果を持つからである。しかし反面、国家がマスクの備蓄を推奨した場合、我が国においては、盲目的に従おうとする人もあるであろうし、混乱を招く可能性もある。このページを見ているような方はもうマスクの備蓄もとっくに始めているような方であろうから、すこしずつ買い増ししていく事になるだろう。かく言う僕ももう少し3MのN95ベンチレーションマスクを買い増そうかと考えている次第である。

今年の冬にパンデミックが起こる可能性は低い。しかし起こると考えて備えるのが危機管理である。

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2008年9月19日 (金)

■インフルエンザを知る

Wikipediaとは実に優れたページだ。僕のような者でもインフルエンザの感染についての機序が理解できるように書かれている。新型インフルエンザについて考察している本ブログであるが、そもそもインフルエンザについて知っておくのもあながち無駄ではあるまい、敵を知る事は今のうちしかできないことであるし。Wikipwdiaより以下僕が理解した範囲でご紹介する。

インフルエンザウイルスはまず細胞表面に吸着する。この時重要な役割を果たすのが「ヘマグルチニン:HA」である(HAの型が5である物をH5と呼んでいる)、ヘマグルチニンは、細胞表面に存在する糖鎖の、シアル酸と結合する性質を持つ細胞表面に強く結合する役割を担った吸着因子である。ヘマグルチニンが結合するシアル酸はウイルスに対するレセプターにあたるが、ヘマグルチニンとレセプターの結合にはシアル酸の有無だけでなく、糖鎖においてシアル酸と結合しているガラクトース(糖の一種)の結合位置も同時に重要である。糖鎖におけるシアル酸とガラクトースの結合様式は宿主である生物種によって異なり、またウイルスの変異型によってヘマグルチニンが結合しうるシアル酸が異なるため、インフルエンザウイルスが感染しうる宿主には違いが生じる。

(この辺から難しくなってくる・・・鳥インフルとヒトインフルの違いについて述べられている)
ヒト由来のインフルエンザウイルスのヘマグルチニンは、シアル酸とガラクトースがα2→6結合(今の所僕にも不明なので結合の形態記号として認識することにした)したものだけを認識するが、トリ由来のウイルスはα2→3結合したものだけを認識する。そして、ヒトの気道上皮細胞ではα2→6型の糖鎖だけが発現しており、一方、トリの大腸上皮細胞では大部分がα2→3型である。このため両者は互いに交差的には感染せず、トリ由来のウイルスが直接ヒトの間で流行することがなく、その逆もまた起こらない最大の理由だと考えられている。ヒトの一部には遺伝的にα2→3型の糖鎖を持った人も存在することも報告されており、これらのヒトには直接トリ由来ウイルスが感染しうるが、大部分の(α2→6型糖鎖を持つ)ヒトの間での大流行にはつながらない。これが1997年以降、香港や東南アジアで発生しているトリインフルエンザ(H5N1)のヒトへの感染の原因ではないかと考えられている。

さてヒトインフルエンザウイルスであるが、細胞内に簡単に進入する。進入するというよりも取り込まれる、これを「エンドサイトーシス」という。細胞が細胞外の必要な物質を取り込んだり、また異物や病原体を取り込んで細胞内のリソソームという器官で消化してしまう為にある機序のようだ。本来このようにエンドサイトーシスによって細胞内に取り込まれる事は、病原体にとっては、リソソームによる消化/殺菌を意味する為、エンドサイトーシス(細胞内取込)を逃れる方向に変化していった病原菌もある。しかしインフルエンザウイルスやアデノウイルス、結核菌等はこれを逆に利用して細胞内に進入し、リソソームの消化/殺菌を逃れる術を開発し、細胞を宿主化する事に成功した。

さて細胞内に進入したインフルエンザウイルスであるが、エンドソームと呼ばれる膜に包まれている。通常エンドソーム内部にあるタンパク質分解酵素などの働きで分解されたり、リソソームと協調して消化/殺菌されたりしてしまうが、インフルエンザウイルスはこの流れから巧みに逃れて、ウイルスの粒子から遺伝子(RNA)だけを細胞質内に放出(脱殻)する事ができる。ただしウイルスRNAが実際に細胞質に放出されるには、これに加えてヘマグルチニンのもう一つの性状が重要になっている。

(ちょっと難しい開裂の話・・・)
ウイルス粒子表面のヘマグルチニンは、最初HA0と呼ばれる一つのタンパク質であるが、気道や消化管の細胞や黄色ブドウ球菌などが分泌するたんぱく質分解酵素の働きによって切断され、HA1とHA2という二つのタンパク質になる。この現象をHAの開裂と呼ぶ。HAの開裂は、ウイルスの吸着や細胞内への取り込みには関係がないが、その後、ウイルス粒子が細胞内部で分解されてウイルス遺伝子を放出する脱殻の過程には必須である。HAが開裂するとその立体構造が崩れるため、ウイルス粒子が壊れやすくなるが、HA0の状態のウイルスでは強い立体構造のままであり脱殻が正常に起こらないため、その後のウイルスの増殖が起こらない。つまりヘマグルチニンが強い立体構造のままではエンドソーム(膜)から逃れてウイルス粒子からRNAだけを細胞質内に放出する事ができないと言っている。

しかし、インフルエンザウイルスの一部には、これらの特殊なタンパク質分解酵素に頼らずとも、細胞内に存在する通常のタンパク質分解酵素によって容易にHAの開裂を起こすものがある。このようなウイルスは気道や消化管だけでなく全身の細胞で増殖できるために、急激かつ重篤な感染を起こす。強毒型あるいは高病原性インフルエンザウイルスとよばれるものには、このように変異したHAを持つものが多いことが判っており、ニワトリに大量死を発生させる高病原性トリインフルエンザがこの代表例である。ヒト由来のウイルスはほぼすべて弱毒型であるが、唯一、1997年に香港で発生したH5N1亜型が高病原性であった。

インフルエンザウイルスの細胞への「吸着」「エンドサイトーシス」「脱殻」「開裂」まではなんとか理解できた。この後、細胞内でのRNAの自己複製と宿主細胞からの遊離過程があるのだが、長くなったので次の機会に譲るとしよう。

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2008年9月16日 (火)

■スペインフルに学ぶ~その2

スペインフルを伝える本については「史上最悪のインフルエンザ」アルフレッド・W・クロスビー著 しか読んだことがないので、いささか偏っているかもしれない。しかしどうやらスペインフルは米国ボストンあたりを発信地としているようであるから、この本は読んでおいて損は無い本である。スペインフルに関する僕の知識のほとんどはこの本から得ている。発生から蔓延していく有様や、疫学的な統計結果まで実に分かり易く書かれている。青年~壮年層の致死率が異常に高いということもグラフを示して解説されている(もちろん理由は不明とされているが)。

そこにはこうも書かれている。「看護婦さんが湿った靴下を替えてくれて、暖かい毛布をかけてくれたことがとても嬉しかった」また「自分の感染の恐れを省みず、献身的な看護をしてくれた彼女達は天使だ」と・・・

今パンデミックが起こってもスペインフルのような悲惨な状況にはならないという人もいる。科学や医学、輸送手段も発達したからだというのが根拠のようであるが、忘れてはいけないことがある、それは「それら全ての遂行が人間に依存しているという点」である。パンデミックは機械に被害を与えない、人間に被害を与えるのだ。そうすると、やはり全国の少なくない地域において、スペインフルの時のように流通の停滞による飢えが発生したり、一家全員が罹患して看護者もいないといった惨状がやはり起きるのではないかと思うのだ。

加えて現在の人口の流動率の高さ、町内会等の末端の結束率の低さは、ある意味スペインフルの時より条件が悪いかもしれない。地震の時には全国からボランティアが駆けつけるような素晴らしい一面も見られるが、全世界で一斉に惨事が起こったらどうなるか?小さな集団で助け合うしかないのではないだろうか?それは例えば町内会であったり、ボーイスカウトであったり、施設であったりするだろう。全体的な統御をするのは国家や自治体である、しかし、彼らが立案した施策を実施する際に、個々人宛に行っていたのでは間に合わないと思わないか?そこは自治組織を末端として彼らの活動を行ったもらい、末端の自治組織内で施策の実行、例えば食料品の配給や抗インフルエンザ薬の配付(可能性は低いが)、ワクチン接種情報の提供等々・・・を行うべきであると考える。

国家や自治体の実行力だって限りがあるのだ。非常時に国民一人一人を対象にはしていられなくなる事は明白である。だから僕達は何らかの組織に属しておく必要があるのだ。国民の末端まで効率的に施策が実行されるように、我々も努力しなければならないのだ。パンデミックの際に、何もせずに口を開けて、誰も食べ物を入れてくれないと怒っても何も解決しないと思わないか?自分でできることは自分ですべきである。全て人任せにしておいて、その人の不手際をあげつらうのは卑怯な行いである。任せたのは誰なのか?任せた責任は自分にある事を忘れてはならない。我が国は主権在民なのである、この意味をよく考える必要があると僕は思う。

「看護婦さんが湿った靴下を替えてくれて、暖かい毛布をかけてくれたことがとても嬉しかった」「自分の感染の恐れを省みず、献身的な看護をしてくれた彼女達は天使だ」・・・

こんな美しい人達がまだまだ我が国にたくさんいる事を願ってやまない。

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2008年9月12日 (金)

■スペインフルに学ぶ

スペインフルの話をすると、90年も前の話と比較する事自体ナンセンスであると仰る方が必ずいる。しかし比較するのではなく、教訓とするのであれば、どんな事からでも学ぶ事はあると思う。あの時はアラスカの山奥からハワイやサモアといった島までくまなくウイルスが行き渡った。また当時第一次大戦中であり、ヨーロッパ戦線においては、米軍の所属する連合軍と独軍の間には数キロメートルの無人の緩衝地帯があったのにも関わらず、連合国側で蔓延したスペインフルは何故か独軍にも感染を拡げた。

スペインフルはH1N1(弱毒型)であったから鳥は感染しても若干弱るだけで死なない。鳥もウイルスを拡げる助けをしたと考える事は妥当な考え方だろうか?。港で上陸者を数日留め置いたり、郵便物の燻煙までしても、ウイルスの上陸を防げなかった場所もあり、また逆に上陸を阻止できた場所もある。これも鳥によるものだと関係づける事は簡単であるが、ここで一つ疑問がある。「鳥-人」間はそんなに簡単に感染するのか?」という点である。人人感染を防ぐべく物理的に逆隔離をした場所は当時多数あったが、成功例の方が少ない(豪や南サモア)。もし逆隔離の失敗例を全て鳥のせいにするとしたら、新型インフルエンザは当然「鳥-人」間でも比較的効率的に感染するということだ。そして鳥は若干弱るだけで死なない。新型インフルエンザの定義の一つに「人人 間で効率的に感染するようになる」というのがあるが、「鳥-人」間においても比較的効率的に感染する事も考えられるわけだ。

H5N1は強毒型(一部弱毒型もあるようだが)で、鶏などは感染すれば全身の細胞で感染が拡大し、数日で100%死亡する。そして「鳥-人」間の感染力は今の所極めて低い。そう考えると、H9等の弱毒型の方が新型になった方がより恐ろしいという事になる。

こうやって考えてくるとやはり科学的エビデンスに依らなければ、仮定が仮定の上に成り立ち、憶測となってしまい、説得力が無くなってしまう事が分かる。

それにしてもスペインフルの流行第2波の発生が米国とインドで同時に起こった理由を科学的に説明できる人間がいるのだろうか?Spanish_flu_hospital

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2008年9月10日 (水)

■ラオス~鳥インフルエンザ発生について

ラオスというのは都市名だと、うかつにも最近まで思い込んでいたが、実際は議会を持つ立派な共和国だった。

ここの北部のルアンプラバン省のアヒル農場で「鳥インフルエンザ」が8月27日頃から死亡しだし、10,000羽を殺処分予定(3,000羽は既に実施済)だという。(高病原性鳥インフルエンザ海外報道抄訳集より)
http://homepage3.nifty.com/sank/jyouhou/BIRDFLU/index2.html

「新華社(支)」でも「The Age(豪)」でも原文では「Bird Flu Outbreak」以上踏み込んだ事は書かれていないので、型の特定まではできていないのだろう。それにしても8月27日からアヒルが死亡しだし、当局が10,000羽の殺処分を決める位なのであるから、相当数のアヒルが死亡したのであろうに、人間の患者が報告されていないのはどういう事だろうか?少なくとも飼い主やその家族位はむしろ感染した方が自然というか合点がいくのだが、その報告が無い。報告されていないのか、感染自体がないのか?それは分からない。しかし現時点では、感染自体の可能性は低いと考えられるだろう(エビデンスなど無いが、なんとなく感覚的に、エピデミックでも起これば、殺処分と同時に情報がリークすると思われるから)

アヒルの死亡から推測するにおそらくH5N1だろうと思われ、クレードの調査まで行われるのだろう。それにしても改めて思うのだ。「H5N1は人に感染しにくいなあ」と。H5N1による、これまでの家禽やその他鳥類の感染死亡数と人類の死亡数の比較は正確にはできない、しかし、相当感染効率が悪い事は確かだ。二桁や三桁あるいはそれ以上乖離しているかもしれない。H5N1が衰退して、違うタイプのインフルエンザウイルスが台頭してくるのか?それともまだしばらくH5N1は踏みとどまるのか?2008年冬はそのターニングポイントになるかも知れない。

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2008年9月 9日 (火)

■現実と備え~本音と建前

2008年度冬にパンデミックは来ない可能性が高い。と先日書いた。可能性というとらえどころのないものは理解しがたい。例えばサイコロを振って、「1」が出る可能性は低いと言える。1/6だからだ。だがいつかは必ず出る。しかし6回振ったら必ず出るとは言えない。こんな事を書くと真剣にウイルス変異を追っている学者先生に怒られそうだが、パンデミックの発生確率も所詮確率なのであるから、同じような事が言えると思うのだ。長いインフルエンザウイルスの歴史の中で、次のシーズンに人人間で効率的に感染する能力を得る可能性はきっと低い。だからパニックにならずに落ち着いてこの問題を捉える必要があると思うのだ。その一方で、一度パンデミックになったら日本で何百万人やら世界で何千万人やらと未曾有の死者が予想されているのも事実である(この数字はH5N1に特化した数字のようだが)

危機が本当かどうかということと、それに備えるという事は別の次元で実施するべきである。本当かどうかは、やはり確率でしか言えない(今現在起きていない事だから)。しかし確率が存在すれば、それに対する備えは必要である、ただしどの程度の確率の物に備えるかは個々の判断である、隕石落下に備える人もいれば、新型インフルに備えない人もいる。

 企業にとって新型インフルエンザのパンデミックは非常な脅威である。なんと言っても現代社会は昔から比べると、労働が集約されている。つまり従業員一人が欠けた場合の企業の損失が昔より大きいのだ。労働生産性の向上を目指して来た結果が、一人当たりの損失の拡大に繋がっている。従業員を一時に多数失うと業務の遂行が困難になる。業務の遂行が困難になれば企業の存続が困難になる。

 従業員の命を守る事がまず優先されるべきである事は言うまでも無い。しかしそれと社会機能維持という企業の使命をどうやって両立させるかだ。前者の為には縮退稼動に移行し、従業員の移動(通勤や出張)をできるだけ少なくする必要がある。そして後者の為には、ある一定程度の従業員が出勤して業務を遂行しなければならない。

ここではたと気づくのは、一見この二つはバランスして両立するかに見えるが、そんな奇麗事が果たして通用するかという疑問である。本来ならば各事業所を封鎖しておよそ2ヶ月の波が去るのを待って・・・という事を繰り返すべきなのであろうが、そうも言っていられない事情も企業側にはある。顧客への対応もそうだし、支払い行為だってある。そちらも立派な企業存続課題である。債務履行の一時停止は経団連も要求した事項である、これは一見簡単なようでも実は深い。債務の履行は一方では他社の収入でもあるからだ。ここを非常手段として止めたらどうなるのか?そもそも企業側が感染症法や労働安全衛生法に基づき就業制限をかけた場合、賃金の支払いはどうすべきか?掘り下げようと思えばどこまででも掘り下げられる。

やはり考え方としての妥協が必要になるだろう。出勤可能な従業員に感染予防の施策を施して交代勤務や時差出勤・・・といった考え方である。そこで防疫用具のお出ましとなるわけである。マスクをしても手洗いを頻回に行っても感染を100%防げる訳ではない。しかし今の所できる限りの防疫を施して縮退稼動させるという選択が、企業にとって最も大きい利益を得る事ができる選択なのではないだろうか?

建前としては、「当社は新型インフルエンザ対策を既に立案済みです」と言うが、本音の部分では、企業存続の為に公衆衛生的には100点ではない選択を取らざるを得ない。アポロ13号の事故後の帰還ミッションのようである。特定のセクションにとって、最終決断はいつも100点ではない。しかしミッション全体として得るものが最大になるように、最終決定者は決断を下していった、そして奇跡の生還を成し遂げたのだ。人類もNASAよろしく奇跡の生還を成し遂げたいものである。

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2008年9月 8日 (月)

■厚労省の指示と現場の乖離

2008年7月31日に行われた「厚労省の専門家会議」において決まった「事業者・職場における新型インフルエンザ対策ガイドライン」という物がある(鳥インフルエンザ直近情報:http://homepage3.nifty.com/sank/jyouhou/BIRDFLU/index2.htmlを参照)

また一方、当社の親会社のリスクマネージメント部門で製作された「新型インフルエンザ行動計画」という物もある。両方に目を通してみた。両者の文言はきれいに一致している。一例をあげれば。


【厚労省】
・ 通常時から新型インフルエンザについて正確な情報を収集するよう努める。
【当社】
・(フェーズ3において)各事業所を管轄する総務人事部門は、地方公共団体より国内における鳥インフルエンザの状況や検疫の状況等について情報を入手する。


【厚労省】
・ 従業員に対して、感染予防策を徹底するとともに、新型インフルエンザ発生時
の行動についての普及啓発を行う。新型インフルエンザ発生時に業務に従事す
る者に対しては、その感染リスクを理解・納得させる。
【当社】
対策本部は、鳥インフルエンザの感染状況等に関する情報と新型インフルエンザに対する基礎知識について、e-Learningや安全衛生委員会を通じて社内への周知を行い、感染予防における諸注意を喚起する。また、感染疑いのある者が発生した場合の連絡体制を整備する。

この他にフェーズ3において、当社対策本部は防疫用具の備蓄を行う旨の記述もあった。しかしである。①について、そのような通達が社内で実際に出されてはいない。②について、e-Learningは親会社では必須受講となっていたが、子会社/関係会社にはその存在すら通知されていない。

要するに、「対策を立てなさい」→「はい、対策を立てました」で終わっている感があるのである。対策の中に「総務人事部門は情報収集に努める」と記述があるのに、具体的な指示が現場に降りて来ないというのが最も分かりやすい例だろう。

これをもって、「産業界では徐々に対策が進んでいる」と判断されるのであれば、非常に危険であると思う。厚労省に対しては、対策は済んだと報告され、厚労省もそうかと安心する。しかし本当の現場では、社内での対策があることさえ知らない場合もあるし、知っていても既に実行されていなければならない事が具体的命令として降りてきていない。

全く対策を立てていないよりはましであるが、中途半端に立てて物置の中にしまってあるような対策マニュアルは有事には機能しないと思われる。車を買って、納車の日にエンジンがかかるかどうか、確かめない人はきっと少ないだろう。同様に、対策を立てたら末端まで一度それが実行可能かどうか確認してみる必要があるだろう。この不作為は企業側に責任がある事だが、厚労省もどうせならここまで求めて欲しいと考えるのは「民」の甘えすぎであろうか?

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2008年9月 7日 (日)

■肺炎球菌ワクチンについて

最新の研究では、スペインフルの死者の死因の大半は、インフルエンザによる直接的な物ではなく、肺炎等の合併症によるものだとしている。以前どこかのサイトで目にした事があるが、シベリアの凍土が溶けて、氷中に埋葬されていたスペインフルの死者の遺体が発見され、H1N1に関する貴重な検体が得られたような記載があった。きっとそのようないきさつで上述の「合併症による死亡」論が導き出されたのだろう。

僕は前々から肺炎球菌ワクチンの有用性を検討していた所だったので、上述のような研究結果を知って、軽々しくも早速試してみることにした。即ち自身と娘(5歳)への肺炎球菌ワクチンの接種である。肺炎球菌と一口に言ってもその型は80種以上もあり、国内で接種できる現行のワクチン(ニューモバックス:万有製薬)は23価多糖体ワクチンであり、23種類の型に対するB細胞性免疫を得ることになっている。抗体価(免疫力)は接種前に比べ、平均4・4倍になるそうだ。

肺炎球菌ワクチンの有用性については諸説あるようで、血管内への侵襲を伴う肺炎のみに有効であるとする論文も存在する(つまり一概に肺炎を予防するためにこのワクチンを受けても効果は限られると言いたいようだ)。そういう論文もある事を承知の上で、パンデミック対策の一つとして肺炎球菌ワクチンを接種してみた。

病院で、まず医師は「このワクチンは免疫不全や基礎疾患がある方、及び65歳以上の方が推奨対象である事」「成人の場合、既に免疫を獲得している可能性があり、その場合副反応が出る可能性がある事」を指摘して、「それでも接種を希望しますか?」と問うてきたので希望する旨伝えた所、ニューモバックスの処方が出された。娘は同病院の小児科にて同じく処方され、接種を受けた。

娘には副反応は起こらなかった、免疫を持っていなかったのだろう。しかし僕には副反応が起こった、しかも強烈に。接種翌日の夕方から接種部位(左上腕)の著しい腫脹と熱発(39.5℃)が起こり、腫脹はみるみる拡がり、腋下リンパ節に圧痛を生じるまでになった。しかしその他の症状は全くなく、意識も全く正常であった。結局丸一日寝込み、翌朝(接種日から4日目)の朝に平熱に戻った。副反応というのはこういう事だったのか・・・生体実験は全く危険である・・・これを受けて、妻が接種を拒否した事は言うまでもない(2歳の息子も)

ちなみに肺炎球菌ワクチンは脾臓摘出患者以外は健康保険対象外なので全額自費負担である(一部自治体では公費補助もあるようだが)、相場は6千円代(診察費込み)という所のようだ。また国内で使用されているニューモバックスは2歳未満の小児に対する抗体産生について否定的な見解を示している。さらに、有効な免疫を維持できる期間は5年程度とされており、2度目の接種は出来ない事になっているので、受けるとしてもいつが適当かというのは誰にも分からない事なので自分で決めるしかない。そして受けたからといってパンデミック時になにがしかの効果があるのかも誰にも分からない。

僕と5歳の娘は受けた、そして妻と2歳の息子は受けていない。知らないうちに僕は自分の家族を対象にした疫学調査をするはめになるかもしれない。

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2008年9月 5日 (金)

■明石市のポスター

新型インフルエンザに対する明石市の対策は実に突出して見える。他にも東京都等水面下で動いている自治体もあるのだろうが、明石市は派手に情報発信している。

ユニークなポスターを作製されているので下にご紹介する。

「pamphlet.pdf」をダウンロード
「pamphlet2.pdf」をダウンロード

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2008年9月 4日 (木)

■2008年度の冬にパンデミックは来るか?

今年度、2008年度の冬にパンデミックは来るか?と問われたらどう答えようか?もしこれが博打で、どちらかに張れと言われるのであれば選択は「来ない」だ。Chicken

来ない可能性の方が高いと僕は思う。もしかしたらもうH5N1の時代は終わった可能性すらあると思う。しかし次なるタイプ、H9がもし人人感染能力を持ったらどうなるか?スペインフルの再来となる。H9は弱毒型で鳥は感染しても死なない。H5と違ってマーカーとなる鳥の大量死が見られないのだ。これは逆に恐ろしい事だ。いつの間にかH9が人人感染を起こしだして、いつの間にかパンデミックになっていったとしたら恐ろしいことだ。WHOのフェーズ宣言をよりどころにしている現在の防疫体制が結局機能し始める前に既にパンデミックになってしまう可能性すらある。

ウイルスは我々人類を嘲笑っているのだろうか?稲光が電気伝導率の高い所を選んで進んでくるように、人類の調査を見ながら近寄ってくるのだろうか?嫌な奴だ。

インフルエンザウイルスのRNAの変異にはきっと規則性は無い、そこにあるのはカオスであろう。こうなると生物物理の範疇か、はたまた量子力学か・・・世界の最先端の科学は一体これをどう捉えているのだろうか?きっと監視と対策で手一杯なのだろう。ノイラミニターゼ阻害までできるのであるから、細胞内増殖から他の細胞への感染を阻害するポイントを押さえる事は出来ているのだ。そういう機序は判明しているのだ。

DNAワクチンや万能ワクチンの治験が世界で進んでいる、もう一歩で、全てのインフルエンザウイルスに有効なワクチンを鼻孔吸入できる時代が来る。そうすれば今のように毎年株を変えて皮下接種しなくとも良くなり、B細胞免疫が5年や10年は有効になる。H5N1の脅威のおかげで皮肉にもインフルエンザワクチン開発は大幅に加速した。もう少し、あと一歩の所だ。

後は厚生労働省がすんなり受け入れるかどうかという問題(大問題だが)だ。なにしろ諸外国では常識になっている「Hibワクチン」の認可すらまだ出せていない国である。Hibの認可を出せるのは今年秋以降、料金は3万円前後となる模様であるから、実質的には有効なワクチンとならない(金銭的に普及しないという意)。きっと全く新しいインフルエンザワクチンが世界で開発されてもその認可に数年を要するのだろう。豚インフルエンザワクチンの悲劇も歴史上にある事であるから、慎重を期すのは理解できるが、その割には世界で始めてプレパンデミックワクチンを接種し始めたり、理解に苦しむ事もある我が国である。

改めて、今年の冬にパンデミックはきっと来ないと僕は思う。しかしそこまで言っておいて、来ることを前提にした準備をしておくのが危機管理なのだとも同時に思うのだ。

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■優れたページ達

僕も毎日見るような優れたページ達をご紹介しておこう。これらのページは毎日更新される見上げたページ達である。運営者に本当に頭が下がる。

言わずと知れた、「医学博士 外岡立人氏のページ」http://homepage3.nifty.com/sank/jyouhou/BIRDFLU/index2.html

「新型インフルエンザ・ウオッチング日記」 幅広く世界の情報が掲載される
http://blog.goo.ne.jp/tabibito12

「新型インフルエンザの達人」 M.Dが書いているだけあって充実している。情報量豊富。
http://newinfluenza.blog62.fc2.com/

「パンデミック・フルー情報最前線」 客観情報とそれに対するコメント少々といった作り 
http://pandemic.seesaa.net/

番外だが、「明石市の新型インフルエンザページ」 マニュアル編を見たがここまで検証するか・・・という位の徹底度合いだった。N95マスクの装着方法をカラー写真で紹介している点は参考になった。http://www.city.akashi.hyogo.jp/soumu/bousai_ka/h_safety/influ_akashi.html

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■外岡先生ご苦労様でした

小樽保健所所長 外岡先生が保健所所長の肩書きを自ら辞され、医学博士 外岡立人氏に戻られたとの由。3年半の長きに渡り、早朝と勤務後の夜間の情報収集/翻訳/Web更新はさぞかし重労働であった事と思う時、心から尊敬の念と感謝の気持ちを禁じ得ない。僕も氏のページに相当の影響を受けた一人であるし、海外情報についてはほぼ100%氏のページを情報ソースとしていた。

氏は海外情報に毎日向き合っているが故に、国内での体制の遅れに対して憂慮の気持ちが強く、いささか辛口の「徒然日記」となっていたが、逆に言えばあれくらいのはけ口が無ければやって来れなかった程のご苦労だったのであろうとも思う。

直接お会いした事もあるが、Web上で見せる熱さとは裏腹に、物静かな学究肌を感じさせる方だった。氏は作家でもあり、やはり文章の力を借りて表現する方が、より自分を上手に表現できるようだ。

氏の辞任理由は、本人も徒然日記で述べている通り、純粋に「辞めたくなったから辞めた」ということらしい。ご本人がそう述べているのであるから、そうに違いないのだ。この辺の詮索は皆さんしないようにしましょう。ご本人もそう望んでいるのだし。

とにかく純粋な「医学博士 外岡 立人氏」の再登場に対して心からの感謝と慰労の念を表したい。「お疲れ様でした、そしてまた、これからもよろしく御願いします」・・・

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2008年9月 3日 (水)

■備蓄の是非

新型インフルエンザにおけるパンデミックに備えて備蓄する事の是非が、以前「鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集http://homepage3.nifty.com/sank/index.html内の会議室(現在は閉鎖中)で展開された事がある。皆さんはどうお考えだろうか?先進国や富める者だけが備蓄をして生き延びようとすることの無意味さを主張する方がいた、僕は備蓄はすべきであると思う。その理由は無論単なるエゴイズムでは無く、国家の力を自分以外の弱者に行き渡らせる為である。備蓄できる程の可処分所得がある者は自分の分の食料品/医薬品については備蓄して、備蓄したくてもできなかった階層の国民に対して、国家の保護を譲るべきであると思う。結局そういう自己完結性を持っておいた方が、国家全体としての危機対処能力の有効利用に繋がり、パンデミック後の復興に寄与すると思うのだ。

忘れてはならない。国家無くして国民は存在し得ないのである。国家が無くなってしまえばつまり主権は失われ、そこには単に人の集まりが残されるだけなのだ。早晩近隣の大国に併呑されてしまう。2000年の歴史が幕を閉じる事になってしまうのである。

繰り返すが、「備蓄は必要である」。想像力を働かせれば分かる事ではないか。金を出せばいつでも何でも手に入るのは平時だけである。トラックの運転手も40%欠勤する可能性が高いのだ。スーパーの店員も流通会社の社員も製造業者も同じである。店頭から40%の物品が無くなるのはむしろ自然の成り行きである。

その時になって誰かを責めた所で腹は膨れないではないか。子供達に飴の一つも与えられないではないか。人は一人では生きていけない、これは真実である。しかしある程度の集団を区切って生き残りを考えないと、総花的な対策は成功しない。世界人類全体を救うような方法は、初期のエピデミックの封じ込めにおいては、資源の集中投入という形で実現可能であるが、一旦パンデミックとなってしまったら集団ごとの自尊自営が否応無く求められる。その集団が国家であり、国家を形成する自治体であり、自治体末端に接続する町内会である。

人間はどんな状況になっても生き続けようとしなければならない。そして子供達の為には大人は我慢しなければならない。生きる事は卑しいことの連続だ、だからこそ少しでも美しく生きられるよう努力しなければならない。自分の為に備蓄するのではない、有事の際に人様にご迷惑をかける事のないよう備蓄するのだ。この意味において備蓄は必要なのである。

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■備えよ常に

ご存知の方も多いと思うが、「備えよ常に」はボーイスカウトの規範である。「いつなん時、いかなる場所で、いかなる事が起こった場合でも 善処が出来るように常々準備を怠ることなかれ」という意味である(Wikipediaより:Wikiのボーイスカウトに関する記述は秀逸であるのでご一読の価値あり)

これこそが危機管理の最も分かり易い表現だと思う。H5N1が強毒つまり全身感染を起こすタイプで、鶏が罹患すると死亡率は100%だと。インフルエンザは人獣共通感染症で、全てのインフルエンザウイルスは鳥由来であるから、こんな恐ろしいインフルエンザウイルスが人間に感染しだしたら大変なことになると騒がれだしたのは10年少し前のことだったか。昨今ではH9の方がより人間に対する感染力を得る変異を起こしているという事も報告されている。つまりH9の方がより人間に近づいているということである。

H9は弱毒型である、しかし弱毒型といって決して安心はできない、何しろあの「スペインフル」のH1N1も弱毒型だったのだ。ウイルスの変異を100%リアルタイムで追うことはできない。例え感染が呼吸器に限局されたとしても、全く免疫を持たない病原体を、体内に侵入を許した場合の生体の反応は予測の範囲を出ない。今はやりの「サイトカインストーム」かもしれないし、あるいは二次感染(Hib、肺炎球菌他)が重篤になるかもしれない。

要するに予測の範囲を出ないのだ、つまり不明だということである。大胆に言うならば、パンデミックが発生するかどうかも不明だと僕は思う。こういうと猛烈な反論があるかもしれない、「それは確実に起こる、いつ起こるのかの問題だと」彼らは言うだろう。それはそれで正論である。しかし長い時間の流れの中で、ある一定期間をどう取るかによって起こる、起こらないは全く異なる結果となる。例えば東海地震は既に「いつ起きても不思議ではない状況」と言われて久しいが、地点間の歪み等の予兆すらない。今後100年の間にパンデミックが発生する可能性はほぼ100%に近いと言えるかもしれない。では10年間ではどうか?5年間では?と問われれば、回答に窮してしまう。その可能性はウイルスの変異という不確定要素に依存しているからである。こんな事はとっくに周知で、それ故学者達はインフルエンザウイルスのうち、人に感染する能力点に近づいてきている種類を監視しているのだろう。その結果がH9として報告されてきているのだ。

「いつなん時、いかなる場所で、いかなる事が起こった場合でも 善処が出来るように常々準備を怠ることなかれ」
ボーイスカウトの規範は偉大だと僕は思う。生きる事は本来簡単な事ではなかったはずだ。何か不測の事態が起こる可能性をいつも忘れてはならないのだ。日本海海戦の参謀、秋山真之中将が残した「平時においての訓練、準備において既に有事の勝敗は決する」という言葉も同様の意味を持つ。

現代人はとかく依存心が強すぎると僕は思っている。新型インフルエンザに関しても、とかく国の対応が遅れているとか、厚生労働省の被害予想は甘いとか、異口同音に攻め立てている。それは確かに一面に置いては正義であるが、それとは別に、一般国民も全てを国家に依存するのではなく、自分達でできる事は自分達ですべきである。ベストを尽くしてから物を言うべきであると僕は思う。国家が何をしてくれるかではなく、自分が国家に何をできるかという観点も、ジョン・F・ケネディーではないが必要な考え方だと思うのだ。パンデミックがもし起こった時、「僕達は丸腰です、国や自治体が助けてくれるんでしょ?」と皆で口を開けても、それでは国も自治体も困ってしまうと思わないか?

本当に日々生きていくだけで精一杯の人は仕方がないと思うが、定期的に買い物に行ける程度の人は、その時に少し余分に買って、押し入れに貯めておく事は十分意味があることだと思う。

備えよ常に・・・実に深い言葉である。

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2008年9月 2日 (火)

■マスク等~感染予防について

 マスクには感染予防の確たるエビデンスが無いと学者はよく言う。実際に疫学的調査が行われ、有意の差が出ていないのだから、そう言えるのだろうし、そう言わなければ学問という物は成り立たない。
 しかし、想像してみて欲しい。もし世界中でどうやら新型と見られるインフルエンザ様の感染症が爆発的に拡がっているという情報を得ている時、地下鉄の隣の席の人がゴホゴホ咳をしていたら・・・やはりマスクをしたくなるでしょう?

 もちろんそんな感染の温床となる環境に身を置くこと自体を避けるに越したことは無く、企業や役所等は在宅勤務や時差出勤や車通勤を積極的に推進すべきである事は間違いない。しかし、常に最悪の事態を想定しておくということが必要である。これは一般家庭においても同じである。ある程度の自己完結性を持たなければいけないと言うことである。スーパーに行けばいつでも好きな物が買えるのは平時だからである。パンデミックともなれば、そのような円滑な生産/流通は多かれ少なかれ制限を受け、最も分かりやすい現象として、店頭から商品が消えるという形で現れるだろう。

そうなった時に、国が悪いとか自治体が悪いとか言っても何も解決しないのだ。長い平和に飼い慣らされて、我が国の国民は平時を当然の事として生活を設計している。地震は来ないという前提で家を建てているようなものである。

話がそれた。防疫(感染予防)の話に戻そう。
第一に手洗い、第二にゴーグル、第三にマスクという所であろうか?咳エチケットの徹底というスローガンも存在し、声高に徹底を求める向きもあるが、僕は咳エチケットの徹底は難しいと思う。そもそも現代の日本で「エチケット」とか「マナー」の徹底が出来ているだろうか?首を傾げざるを得ない。そういう土台があって、その上パンデミックになろうものなら、やはり民度の低い人間はその民度に比例した行為をするであろう。そうすると、その人たちが触った電気のスイッチは汚染され、後でそれを触った「無実の人」の手もまた汚染される。だから第一に手洗いなのだ。

 第二にゴーグルというのはいささか奇異に見えるかもしれない。僕がゴーグルに期待する機能は飛沫感染の予防ではない。もちろんそういう機能も期待できるが、それよりも重要な機能を期待している。自分の手による目や鼻を経由した感染の抑止である。
 人間誰しもほとんど無意識に目や鼻を触っている。その時粘膜に触れれば十分感染が成立する。ゴーグルを装着していれば、触りたくても触れない、いや触りにくいのだ。無意識に触ろうとしていた事に少なくとも気づくだろう。頻回の手洗いを行っていれば、手の上のウイルスの数は増えたり減ったりするだろう。それとゴーグル装着による粘膜接触機会の低減を組み合わせれば、さらに感染予防効果が高まると期待される。

第三にマスクである。順位が低いのは「過度な期待をしてはいけない」という意味の裏返しでもある。昨今ではN95マスクやサージカルマスクがネット通販で簡単に入手できるようになった。一番好ましいのは感染者自身がガーゼマスクでもよいからマスクをしてくれることなのだが、苦しい呼吸でマスクを強要する事はいささか酷であろうし、強要する法律が現代には無い(スペインフル時の米国の一部の州には存在したが)。個の権利が過剰に保護されている現代ではパンデミック時でもそのような法律の成立には無理があると思われる。マスクをしても感染率に疫学的有意差は無いという研究結果も存在するし、上記の2つの予防策と比較してしまうと相対的な順位は低くなるのである。大切なのは「相対的」であるという点である。僕は絶対的な効果まで否定するつもりはない。ガーゼマスクだってきっとある程度の効果はあると思うし、N95規格ならなおさらである。あくまでも過信は禁物だということである。

これら3つに加えて加温、加湿、換気・・・思いつく防疫手段を複数同時に実施することで初めてそれらは効果を発揮するのだと僕は思う。

0.5×0.5×0.5×0.5×0.5=0.03125(3.125%)
それぞれの数字がその道具で感染を許してしまう確率だと考えて欲しい。いくつも掛け合わせればどんどん低くなっていくのだと僕は思う。これは机上の空論なのだろうか?できれば実生活でこれを試すような機会が来ない事を切に望んで止まない。

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