2008年冬用の季節性インフルエンザワクチンの接種が始まった。妻と二人の子供は11/4(火)に既に接種済みで、僕は11/15(土)に接種予定である。札幌市内の医院での接種であるが、費用は安価で@¥2,100である。今できるパンデミック対策の大きな柱の一つに違いないのだから、接種に迷いは無い。たとえ得られる抗体が「IgG抗体」だとしてもだ。
幸い既に接種した妻子に目立った副反応は無い(まあ当然だが)。僕は夏の「肺炎球菌ワクチン」接種時の悪夢が脳裏にちらつくので、科学的にはナンセンスだと思うのだが、感情としては少々不安がある。(成人の肺炎球菌ワクチン接種時の副反応については、バックナンバーを参照されたい)
話は変わるが、昨今はBCPの策定が流行っているようだ。事業継続計画と呼ばれるこの行為は、一般に社会機能の維持のためと考えられている。しかしそれは一つの事象をある一面から見た考え方であると思う。確かに社会機能維持は国民が通常の生活を継続するのに不可欠なものである。しかし、もうひとつ、社会機能の維持以前に、企業存続自体が国家の存続の為に不可欠な事項である事は疑いもないことではないだろうか?
現在世界のほとんどの国家は自由資本主義である。社会主義国家はそう多くない。自由資本主義では、金を稼ぐ事と納税が義務とされている。だから国民は働くのである。すなわち、社会機能だけを残しても、そこに破綻した企業に属する社員が多数取り残されるとしたらば、機能が機能し得なくなるという事だ。衣・食・住・安全・・・資本主義国家にタダのものは存在しない。それらの活動の源泉となっているのが企業活動である。企業活動が国内の資本の流通を促進し、その中の一部の企業が貿易を行って外貨を得て、その外貨で間接的に原油やその他食料の支払いにあてているのではないか(間接的な外貨獲得という意)
BCPはBusiness Continuity Planの略である。これに対して「事業継続計画」という日本語をあてている。BCPはその時々の状況に応じて常に刷新されつづけなければならない、それを行うのがより高位のBCMである。
BCPは二つの側面を持っているのだ。一つはそのサービスを享受する側から見た側面、そしてもう一つはそのサービスを提供する側から見た側面である。例えば食べ物を買うことができる機能を存続させたとしても、買う金が無くては買うことはできない。企業がきちんと存続し、その結果国家が存続し、国民の所得がある程度守られなくては、結果的にBCPは失敗となるのだ。企業を存続させ、雇用を存続させる事が、国家の存続に繋がる。現代資本主義は悲しいかな、このような状況である。結局は金、資本なのである。我が国のような中継貿易立国ではなお更の事である。
今回の金融恐慌の経緯を見ていると、やはり有事には国家は一時的にせよ社会主義化するのかもしれないと感ずる。新型インフルエンザのパンデミックが無視できない位の被害を世界にもたらした場合、経済上どのような影響が現れるのか?損失金額が数十兆円とかいう想定は聞いた事があるが、ただ定量的に言われても全く実感が湧かない。何割の企業が倒産するとか、失業者数が何人になるとか、所得がどれくらい減るとか、この程度までは想定されているのかも知れない。そうでないと、有事の際の国家運営の大戦略は立てられないはずである。利用できるサービスを残しても、パンデミック恐慌で失業者が多発するような事になれば、そのサービスの提供方法も変わってくるはずだ。
現代社会は複雑だ、しかも国家は巨大である、世界経済は全体像を見渡す事すらできない。インフルエンザ・パンデミックが引き起こす可能性がある事柄を、想像力を駆使して事前に想定しておく事がやっぱり大切なのだ。どこまで想像できるか?どこまでそれに備えられるか?これこそが国家のBCMなんだろうと僕は思う。
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